東京上野の国立西洋美術館で2019年10月19日から開催される「ハプスブルク展」
650年間ヨーロッパを治めたハプスブルク家が蒐集したコレクションを元に設立されたウィーン美術史美術館から、素敵な作品が来日します。
ハプスブルク家は、オーストリア系とスペイン系があります。「太陽の沈まない国」と言われたスペイン王国ですが、わずか5代で終わってしまいます。
「高貴な青い血」を守るために近親婚を繰り返したために、身体的に知能的にも異常が起こります。
今回のハプスブルク展で来日する「青いドレスの王女マルガリータ・テレサ」が誕生するまでご紹介。背景を知るとより伝わるものがあると思います。
オーストリア系は下記記事でザックリ紹介しています。
スペイン ハプスブルク家
政略結婚で領土を拡大していったハプスブルク家。
自分のところがやった方法を相手国にはさせたくないので、結婚相手は限られていました。格下の王家はダメだし、カトリック教でなくてはならず、プロテスタントに改宗している王室が多く選択肢が少なく、血の濃い親戚との結婚しかなくなっていったのです。
どのような結婚をしたのか?
1代目 カール5世(スペイン王 カルロス1世)
ハプスブルク家が絶頂期の時の王であるカール5世は、両親から受け継いだスペインの領土を息子に継承、祖父から受け継いだオーストリアの領土を弟に継承させたため、ハプスブルク家はスペイン系とオーストリア系に分かれました。
妻は、ポルトガルの王女で母方の従姉妹であるイザベルと結婚して、3男2女をもうけるが男子2人天折します。
カール5世の妹とイザベルの兄が結婚という兄妹同士が結婚する二重結婚。
2代目 フェリペ2世
カール5世の長男。
1人目の妻、ポルトガル王女マリアと結婚する。
父の妹カタリナと母の兄ジョアン3世との間に生まれたマリアは、父方、母方の両方の二重従姉妹なので、兄妹くらいの感覚で血が濃すぎる気がします。
長男 ドン・カルロスが誕生しますが、マリアは亡くなります。
ドン・カルロスは身体的にも知能的にも劣っており、食べることにしか興味がなかったと言われています。
2人目の妻、イングランドの女王メアリー1世と結婚する。
父と母両方の従姉妹にあたる11歳年上のメアリー1世は、子供をもうけることなく病死します。
3人目の妻、フランス王女エリザベートと結婚します。
エリザベートは、1人目の妻マリアとの間に生まれた息子ドン・カルロスの婚約者でしたが、フィリペ2世と結婚します。
この時代、家と家のつながりだけが大事なので、身代わり結婚はよくあることでしたが、息子の婚約者って・・・衝撃です。
そういえば、マリー・アントワネットも姉が亡くなったために、その身代わりにフランスに嫁ぎましたね。
エリザベートとの間に2女が誕生しますが、エリザベートは若くして亡くなり、元婚約者の息子ドン・カルロスも同じ頃に亡くなっています。
3人の妻を迎えましたが「後継ぎ」がいません。
4人目の妻、姪のアナ・デ・アウストリアと結婚します。
この頃には、条件にあう王妃候補がいなくなり「世継ぎ」を残すために、実の妹マリアの娘であるアナ・デ・アウストリアと結婚します。
二人の関係性は伯父と姪なので、ローマ教皇に反対されましたが、結婚します。
いくら後継ぎのためとはいえ、あかんわ。
それでなくても父にも自分にも、既にハプスブルク家の特徴である面長でしゃくれ顎の兆候が出てるのに・・・。
アナ・デ・アウストリアとの間に4男1女が誕生しましたが、のちのフェリペ3世だけが成人しましたが、その他の子は幼い内に亡くなっています。
3代目 フェリペ3世
「怠惰王」と呼ばれ政治は大臣に任せて遊んでいたと言われているフェリペ3世は生まれつき病弱でした。
従兄弟の子供であるマルガリータと結婚します。
マルガリータの肖像画を見ると、ハプスブルク家の特徴である面長・しゃくれ顎が表れています。
二人の間に7人の子供が誕生しました。
4代目 フェリペ4世
「無能王」と呼ばれたフェリペ4世は、女と芸術を愛した遊び人ですが、技術を見る目があり、ベラスケスを宮廷画家にしました。
1人目の妻、フランス王女イサベラと結婚します。
8人の子供が誕生しますが、男子は育たず「世継ぎ」ができないまま、イザベラが亡くなってしまいます。
2人目の妻、姪のマリアナと結婚します。
マリアナは、自身が溺愛していた実の妹マリア・アンナの娘。
マリアナはフェリペ4世と1人目の妻との間に誕生した息子カルロスの婚約者でしたが、若くして亡くなってしまったために、フィリペ4世と結婚することとなりました。
実の妹の娘なので、二人の関係は伯父と姪。
もうね、あかん続きですわ。
二人の間には、5人の子供が誕生するが、後のオーストリアのハプスブルク家に嫁ぐマルガリータと世継ぎのカルロス2世以外の子供は天折している。
5代目 カルロス2世
「呪われた子」と言われるほど、ハプスブルク家の特徴が色濃く出ており、面長・しゃくれ顎の顔に知的障害もありました。
カルロス2世は2度結婚するが子供を持つことはなく、スペインハプスブルク家は終わりました。
スペイン ハプスブルク家の近親婚、如何でした?
この時代に知識がなかったとはいえ、ハプスブルク家の特徴である面長・しゃくれ顎がドンドン色濃く出るようになり、体の弱い子、知能の遅れてる子、成長しない、早くに亡くなるようになれば、誰か気づいて止めることができなかったのか。
それ程「高貴な青い血」が大事だったのでしょうか。
スペイン王女 マルガリータ・テレサ
4代目フィリペ4世の長女マルガリータは王のお気に入りで、宮廷画家にたくさんの肖像画を描かせています。
マルガリータの見た目は、ハプスブルク家の特徴の面長・しゃくれ顎が少しあるだけで、知的障害などはありませんでしたが、曾祖父母は伯父姪婚、祖父母は近親婚、父母は叔父姪婚だったため、近親交配度が通常の4倍だったと言われています。
そして、マルガリータの結婚も例外にもれず近親婚。
マルガリータの母の弟レオポルト1世、つまり叔父と結婚します。父母も叔父と姪なので、父方の従兄弟であり、母方の叔父との結婚です。つながりが複雑すぎて何が何なのかわからなくなるくらいです。源氏物語の世界です。
マルガリータは15歳でウィーンのハプスブルク家に嫁ぎ、5人の子供をもうけますが、5人目の出産後すぐに子供とともに亡くなってしまいます。マルガリータは22歳。生まれつき体が弱かったことに加え、度重なる出産が原因だったと思われます。
誕生した子供も長女のみが成人したが、その他の子供は幼いうちに亡くなっています。
この結婚はマルガリータが幼い頃に決められ、許嫁にマルガリータの成長を知らせるために宮廷画家ベラスケスの描いた肖像画がオーストリアのハプスブルク家に送られます。
2019年10月19日から東京上野の国立西洋美術館で開催される「ハプスブルグ展」に
8歳のときの肖像画「青いドレスの王女マルガリータ・テレサ」が展示されます。
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