ムンク展に行く前に。ムンクの生涯を知るともっとおもしろい

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ムンク 自画像

 

東京都美術館で開催されているムンク展。

100点近い作品が見られるので、この機会に是非行きましょう。

と、その前に!

ムンクの生涯がどのようなものであったか、どんな人だったのか、知っていますか?
ムンク展に訪れる前に、ムンクについて、ちょっと知っておくとより楽しめますよ。

 

ノルウェー出身ムンクの生涯は、悲しみの連続

 

エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)
1863年12月12日 – 1944年1月23日
ノルウェー出身

 

キリスト教信者で医師の元に1863年に生まれ、姉・ムンク・弟・妹・妹の5人兄弟です。

 

ムンクが5歳のときに母を、14歳のときに姉を結核で亡くした経験から「死」を意識する環境にいました。

物心がついてから、生の不安が僕から離れたことはない。
という言葉を残していることからも、いつも不安であったことがわかります。

 

初期の作品「病室での死」「病める子」は、その影響が色濃く出てる作品といえます。

ムンク作品「病室での死」「病める子」

 

「病める子」は、同じテーマで複数の作品を描いています。

ムンク作品「病める子」

 

ムンクは幼少期から慢性気管支炎を患っており、学校を休みがちであったため、母の死後面倒をみてくれていた叔母(母の妹)と家庭教師から勉強を習いました。

ムンクの父は、怪奇小説を読ませていたと言われています。

 

母の死後、より一層キリスト教にのめり込んでいった父は、子どもたちを叱るときなど異常に厳しく、ムンクと口論になるときもあった。口論の夜、父がベッドの前でひざまずいて祈っている姿をみて、衝撃を受けたと回想している。

ムンクは、この父から神経質で宗教的な狂気な遺伝子を受け継いでいると思っていました。

 

母と姉、そして父が亡くなり、妹が精神病で入院と次々に家族の不幸が襲い掛かります。

弟の婚約者が精力的な人であったため、自分と同じく虚弱だった弟を心配して結婚に反対しましたが、その不安があたり、結婚後わずか半年で弟が亡くなってしまい、ムンクは精神的にとても不安定になります。

このように幼少期から続く家族の不幸や虚弱体質、遺伝的な精神疾患に不安があり、生涯独身であったのではないかと思われます。

銃による怪我のあと、アルコール依存症になり、精神病院に入院することもありましたが、精神の回復にともない、いい作品が制作され収入が増えて落ち着いてきます。

 

晩年はオスロ郊外で一人で暮らしましたが、年をとってもモテモテだったので、家政婦兼モデル志願の女性が訪れていました。彼女たちのヌード画が膨大な数あるので、モデルだけの関係ではなかったのかもしれませんね。

ドイツでナチスが力を持つと、ムンクの作品は退廃芸術としてドイツ国内の美術館から外されました。ノルウェーにドイツが侵略したのちは、引きこもって過ごしていました。

自宅近くで破壊工作があったおりに自宅窓ガラスが割れてしまい、冷気により気管支炎をおこして、1944年に80歳の生涯を閉じました。

 

没後、遺言により彼の手元にあった作品は、オスロ市に寄贈されいます。

 

ムンクの女性関係

 

ムンクは、長身で端正な顔立ちの美青年であったため、女性関係のエピソードもたくさんあります。女性たちと交際することはあっても、結婚を迫られると逃げ、生涯独身でした。

 

人妻ミリー・タウロウとの愛

 

1885年から数年間、人妻ミリー・タウロウと不倫関係にありました。
ムンクの初恋だったが、ミリーにとってもはたくさんいる愛人のひとりにすぎず、ムンクは苦しんでいたと言われています。

いつも女性が寄ってきたと言われているのに、何故不倫を選択したのでしょう。好きになる気持ちは止められないってことでしょうか。

 

ミリー・タウロウをモデルにした作品「声」

 

ムンク作品 「声/夏の夜」

 

口づけを求めるような仕草の女性。だけど、その目は黒く暗く描かれており、近づくと抜けられないような穴のようにも感じられます。

 

ミリー・タウロウをモデルにした作品「灰」

 

ムンク作品「灰」

 

モデルが彼女と似ているので、その当時の苦しい心情を描いたものと言われています。女性のドレスははだけて誘惑しているように見えますが、その反面手前にいる男性は、頭を抱えています。とても対照的な二人と背景の暗い森が、困難な二人の関係を表しています。
男性の苦悩が、深みにはまって抜け出さない激しい後悔のようにも感じられます。

 

ゲスすぎる、ダグニー・ユールとの愛

 

ベルリンで出会ったノルウェー首相一族のダグニー・ユール。

その美貌と奔放な性格で、画家や作家が集まる居酒屋グループのマドンナ的存在であった彼女に惹かれるムンク。
しかし、彼女はムンクの友人ブシビシェフスキーと結婚します。その時の条件が「性的な自由」の約束を取り付け、結婚後も数多くの男性と関係をもちます。

 

もうね、ゲス不倫なんてもんじゃないですね。
不倫関係に文句を言えるのは、当事者の配偶者だけだと思っているんですが、その夫から不倫OKのお許しをもらうなんて、凄すぎますダグニー・ユール。

 

しかし、ダグニー・ユールは、愛人であるロシア人青年に射殺されて最後をむかえています。

ムンクの作品「嫉妬」は、ダグニー・ユールとムンクの関係、他の恋人との関係に、ブシビシェフスキーが嫉妬に苦悩する姿を描いたといわれています。

 

ムンク作品「嫉妬」

 

髭の人がブシビシェフスキーの写真にそっくりなんだけど、友達が嫉妬に狂ってる様子を描いちゃうムンクって・・・イケずですやん。

 

ダグニー・ユールをモデルにした作品「マドンナ」

 

ムンク作品「マドンナ」

 

ムンクの代表作のひとつでもある「マドンナ」もダグニー・ユールがモデルです。

「叫び」と同様、いろんなバージョンがあり、リトグラフもあります。リトグラフは、女性の周辺に精子のフレームがあったり、左下の胎児があったりといろいろなパターンがあります。倉敷の大原美術館にリトグラフが所蔵されています。

 

ストーカー化したトゥラ・ラーセンとの愛

 

裕福なワイン商人の娘トゥラ・ラーセンと恋人関係で、結婚を迫られていました。
久し振りにトゥラ・ラーセンと会ったときに、ピストルと持ち出しもみ合いにとなり暴発し、ムンクは左手中指を打ち砕かれる怪我を負ってしまいます。
この事件により二人の関係は終わり、彼女はムンクの同僚と結婚。そのことを裏切りと捉えたムンクは「彼女の卑劣な行為が僕の人生を滅茶苦茶にしたんだ」と友人に話しています。

この事件で負った怪我は、ムンクの精神面に影響を与え、女性の裏切り行為に対して精神不安に陥り、アルコール依存症となったため、10か月の療養生活を送ります。

 

これだけのことしておいて、ちゃっかり幸せなってんじゃねぇよ!って感じですかね。

男女関係は、どちらが別れたいと言ったら終わりなんだけど、自分の気持ちだけではないところが難しい。正しい別れ方は、人の数だけあるから・・・。

 

トゥラ・ラーセンをモデルにした作品「罪」

 

ムンク作品「罪」

 

この顔は、狂気?絶望でしょうか?なんと表現したらいいのかわからない顔です。

ムンクとの恋人関係がどの程度だったのは、わかりませんが、結婚は迫ったらあかん。それ、絶対にやったらあかんやつ。結婚迫られるって、めっちゃ怖いからね。

 

ムンクについてのまとめ

 

ムンク展に行く前に、ムンクはどんな人だったのか、どんな人生だったのかを知っていると、より深く楽しむことができます。

紹介した絵画の全てが展示されてるわけではありませんが、作品のつながりなどを知っていると、より深く作品を見るとができます。

ムンクは、ノルウェーの通貨、1000クローネ(約13,500円)紙幣に肖像が描かれています。

 

参考になれば、幸いです。